頭蓋解剖物語

ボロボロ書きます。剥がれ落ちる私を。

白い吐息を昇らせながら。

 秋から冬へと移ろう時。フッと流れたため息が白い吐息に変わる時、その吐息を見ると私の心にはふと「ミルクセーキ」がよぎる。


 知っている人は知っている。自動販売の一番上。あったか〜いの赤い文字の欄に並んでいた100円のミルクセーキ。暖かくてまろやかでとても甘い。そんなミルクセーキが私の実家の近くの駄菓子屋にあったのだ。


 中に入れば和やかな空気、三列に並んだ駄菓子の棚。その奥の畳スペースに座布団を引いて、セーターやミトンを手編みで作っていたお婆ちゃん。


「僕はミルクセーキがいいな」


 そう聞くとおばあちゃんは「はいはい。120円ね」と笑ってコタツの中から取り出してくれる。その間に私はせっせと自販機のお釣り入れからかき集めた120円をポケットから取り出して取引成立。というわけだ。


 そのミルクセーキが冷めないようにポケットに入れて、肌を刺す冷たさを身に刻み込むようにして家に帰る。


 幼少期の私の家庭環境は酷いものだった。出て行っても帰ってきても一つの声もない。晩ご飯すらコンビニのご飯、それはクリスマスでも変わりはしなかった。


 だからこそ、クリスマスはケーキやタンドリーチキンを待ちわびるような一日ではなく、自分から特別な空気を作るような一日だった。


 与えられた部屋に一人、寒さに身体を震わせながらプルタブに指を掛ける。


 フワッと香る。鼻をすすって思わず笑う。猫舌なので少しずつ、味わうように傾ける。流れ込む暖流。広がる甘み。唸る喉。震えは止まり身も心も温まる。


 あのミルクセーキが大好きだった。


 そんな幼少期から十数年が経過した。

 寒さを防ぐダウンジャケット。月に数万は稼げるようになった。肉親だと思っていた存在が養親であったことも、幼少期の扱いの理由も知った。


 帰省した時、ふと思い出して寄った駄菓子屋。潰れているかと思いきや、一人の若い女性の方があのお婆さんのように手編みでマフラーを編んでおりました。


ミルクセーキは無いんですよね」


 と、一蹴された。「そっか、おばあちゃんわざわざ取ってきてくれてたのか」と話すと、あのミルクセーキの訳が見つかったと驚かれました。そうです、僕なんです。


 なんて会話を交わしたのが二月の頃。成人式に行く前の話。あれからすっかり抜け落ちていたけれど、どうやら寒さと共に昔の記憶も刻まれていたようだった。


 大人になった。そう感じざるを得ない今では色んなものが手に届く。


 七面鳥だって。

 ケーキだって。

 一番上のボタンにだって手が届く。


 周囲ではもう既に色んな話が挙がっている。焼肉に行こう。忘年会も兼ねてやろう。そのあと宅飲みしよう。ウチのケーキを予約しないか?なんて話が。


 一言で言えば裕福になった。幼少期、偽りの家族から虐げられ貧しく過ごしたあの時に比べれば、私は自由で幸せなのだろう。


 しかし、その自由と幸せの対価に、私は大きい何かを失ったのでは無いか。と今になって思う。


 本日、ふと公園の隅っこにあった自販機に寄った。あの日あの時、手が届かなかった自販機と同じ色をしていたから。


 やっぱり、ミルクセーキがあった。

 

 財布から120円取り出して、ミルクセーキとお釣りの20円を取って、プルタブに指をかけた。


 懐かしさと感動の入り混じった何かが胸に去来した。


 「私はミルクセーキでいいや」


 白い吐息を昇らせながら、そう呟いた。

 

 失った何かが戻ってきたような気がした。