頭蓋解剖物語

ボロボロ書きます。剥がれ落ちる私を。

人を書くということ。

 生きてきた中で、色んな人たちがいる。それは良い関係性を築けた者から拳で殴り飛ばした者まで様々な人達がいる。そして、そんな彼らはその良し悪しを問わず、私という人間を形成する上で多大なる影響をもたらした人達だ。


 そんな方々を、そんな方々との関わりを、もたらしてくれた何かを。私は文にしないと決めた。


 それは、少し前のこと。故人の事についてここに書きまとめた時だ。


 出会いから繋がり、関係性、受けた影響、笑顔の輝き、楽しみ、そして喪失時の衝撃とその後。私はただ、「自分を落ち着ける」という自分勝手な思いを「彼女がいた事を形に残す」と正当化してここに文を書いた。


 書き終えてから吐いた。


 何かを思い出したからではない。衝撃を後から受けたわけでもない。その文を書き終えた瞬間に、心の中にあった彼女を、ネットの紙面へと追い出した。そんな感覚に襲われたからだ。


 とんでもない事をしてしまった。心の中で練り上げてきた文は、私が心の中で生み出した者ではない。


 実際に、生きていたのだ。

 

 生きていた彼女との思い出。貰った楽しさ。それをそのままタンスに仕舞い込んでいたのに。私はそれをひっくり返して、自分の好きなように並び替えて世に放ったのだ。



 現実に即して言うならば、思い出を吐露した事と差し支えないのだろう。


 されど、それは酷く痛く私を締め付けた。背に汗が流れ、胸は詰まり、喉元の吐き気に耐えられなくなった。


 それ以来、私は人を書くということをやめた。


 色んな人たちがくれた何かを、もう二度と手放さないために。