頭蓋解剖物語

ボロボロ書きます。剥がれ落ちる私を。

「夢」という名の「生きがい」

 夢を見ている。


 そう自覚するときは明らかに現実味のない現実の夢なのだ。


 明らかに現実味を帯びていない現実の夢。新緑溢れる森、ほのかに照らす木漏れ日、光の届かぬ冷たい海、酒豪だらけの喧騒、全て同じように回る歯車の上、酷く鬱屈としたロッカーの中。色んな世界の片隅に、私は一人置かれている。


 周囲に何がいようとも、私は認められてないような。見えていないような。当たっているのに何も反応が無い。世界に一人だけになってしまったかのような感覚に陥る。


 その状況のみが現実ではなく、それ以外の全てが正しく現実であるのだ。日常と非日常、その1と0の交点として私の身体が使われている。


 だからこそ気付く。最大限度のギャップを喰らっている以上、気付かずにはいられない。


 そんな時、私は全力で叫んでいる。寝ている現実の私がどうかは知らないが、夢の中の私は夢の中の現実で食べたい物を叫ぶ。


 言葉遊びじみているが、ようするに「夢なんだから好きなものを叫ぼう」という事だ。


 お気に入りの焼酎の名を叫ぶ。近くのパン屋のクロワッサンを叫ぶ。列に並んで食べたソフトクリームを叫ぶ。誰かのツイートにあったワッフルを叫ぶ。冷蔵庫の中にある豆乳を叫ぶ。


 それが何かをもたらすわけでは無い。夢の中にでてくるわけでもない。本当にただ叫んでいるだけ。矮小な私も、鬱屈とした気分も、その時だけ全力で背を伸ばし、吹き飛ばすように叫び、息が切れた瞬間に目が覚める。


 そうして夢を現実に持ち越して、閉じかける目をこじ開ける。


 ラップに包んだ残り米のおにぎりを温めて、シャワーを浴びて、準備をしたら学校へ行く。いつもの飽き飽きとした一日が始まる。アラームと日記の指示に従って「私」という身体を動かす。自由の身なのはこういった所くらい。


 だからこそ、一日の終わりに私は自転車に乗る。マップでお店を検索してペダルを漕ぐ。


 夜に向かうは朝の欲。街の方はまだ明るい。