頭蓋解剖物語

ボロボロ書きます。剥がれ落ちる私を。

誰かの幸せになるという事。

「俺、今めっちゃ幸せだわ」

 冬の寒気に包まれ、寒風が衣服をすり抜ける帰り道。私の隣にいる友人は白い吐息混じりに呟いた。

「なんかいいことでもあったのか?」
「彼女が出来た」
「そうか」

 淡々とした会話。友人の握りしめるスマホの画面から「私も好きです」という言葉が見えた。

「顔を合わせて告白すればいいのに」
「恥ずかしいだろ?それにこれもまた現代だからこそだよ」
「いや、別にそうじゃなくてだな」

 おそらく、彼は自分が話すときの自分の顔を知らないのだろう。感情がありありと現れる様は見ていても話していても楽しく、とても素直な印象を受ける、だからこそ顔を合わせて話した方が良いと言ったのだ。

 要するに、私の友達は良い奴なのだ。

「幸せにしてやれよ」

 純な応援の心でそう言った。

「なかなか難しいぜ?」

 帰ってきた言葉は異なものだった。

「なんだ、幸せにする覚悟を持って告白したんじゃないのか?」
「いや、それはあるんだが」
「じゃあ何だ。確証が無いってことか?」
「彼女にとっての幸せを知らないんだ」

 ああ、なるほど。と思った。私も知らないものを書く事はできないからだ。プレゼントのような相手の欲しい物だって、知らなければあげることもできない。様々なものが調べれば出る時代でも、人の好みは出てこない。

「別に今すぐって話じゃない。長いスパンで考えようぜ」
「……待たせ過ぎたら振られるんじゃないか?」
「信じてやれ。お前の彼女だろ」

 髪を掻き顔を赤くして逸らす。そう、こいつの良いところはまさにここだ。こういう所が好かれるし、私もその一人だ。

しょっぱなから好みとか知ってたらそれこそ怖い所まである」
「それも愛の為せる技だろ?」
「周辺リサーチ、ストーキング情報収集。言葉の言い回しはたくさんあるぞ」
「さすが文芸部」
「だからこそ今から知ってゆけ。cookpad片手に二人で料理するもよし、デートプラン立ててデートにお誘いするもよし」
「お前の愛は重過ぎないか?」
「それが愛の為せる技だろ?」

 「ほほぉ……」と溜息をつきながら顎に手を当てる。このように、会話の合間合間で「人間らしさ」が垣間見え、それでいて形骸化している訳でもなくしっかり考えているのがこいつの良い所だ。

「でも、それが空回りしたらどうすれば良いんだ?信じるったって限界もある。期待してくれてるのに裏切り続ける結果になってしまったら、それこそ振られるんじゃないのか」
「それなら、顔を合わせてどうして欲しいのかを聞いてみて、そこから考えて相手の幸せを知っていくほかないんじゃないか?」
「さすが恋愛マスター」
「浮気しまくってるみたいに聞こえるからやめろ」

 そんな言い合いをしている間に家に着いた。学校からの近さがウリのこの下宿も今回は裏目に出たようだ。

「じゃ、あとは頑張れよ」
「俺にそこまで出来るかな」
「出来るよ、お前なら」

 会話の途中だってお前は人のことを考えてものを話すだろ。そういう目に見える誠実さを持つお前なら大丈夫だよ。

 なんて言葉を抱えたまま、私は玄関の鍵を閉めた。コートを脱ぎ、照明とこたつの電源を付けて一段落。

 座りながら桜島小みかんを剥く。そんなとき、ふと考えてしまった。

 誰かの幸せになる。とは果たして幸せなのだろうか。と。

 友人の不合格者に対して先生の問題を記憶している限りで再現して配るほどの人に尽くすあの性格なら、きっと幸せだ。それこそ、好きな人に尽くせるのなら尚更幸せだろう。

 けれど、それは自己犠牲の上に成り立つ幸せだ。

 この世は犠牲の上に平和や幸せが成り立っている事が多い。戦争あっての今の世の中である事も。誰かの死によってこの前中学校に入った誰かがいる事も。私は知っている。

 ゆえに思う。見ていただけの存在だからこそ思うのだ。その生き方は幸せなのだろうか。と。

 私たちは自分の心には確証を持っていても、相手の心を知る術を持っていない。なんなら、相手の心の存在証明すらままならない。

 口では「幸せだ」とおっしゃっても、その心までは測り得ない。だからこそ気を遣う。

 拭いきれない不安の穴を埋めるように。

 相手が最も幸せであるように。

 じゃあ、どうやったら相手は幸せになるのだろうか。

 私の幸せはなんだ。酒を飲める。甘いものが食べられる。歌う事ができる。話す。本を読む。誰かに知ってもらう。

 小さいことばかりだけど、確かにそれは私にとっての幸せだ。

 だが、それをされた時に本当に私は幸せだろうか。ビールは飲めないのにビールを勧められる。ステージの上でマイクを渡されて歌ってと言われる。オススメの本だよと言われ鬼滅の刃を渡される。

 これら全て、最近のことだけれども全て結果的に不幸になった。芋の水割りが至高だ。風呂の中で歌う「春よ来い」が至高だ。知念実希人さんの「無限のi」が至高だ。

 事柄は同じでも、中身が好みに沿わなければそれは不幸になる。まぁ、「尽くしてもらっておきながらなんたる言い草か」と言われるとその通りなのだけど。本当にすみませんでした。

 けれど、その時の相手は皆、自分の好みの押し付けではあるものの善意を持って気を遣っているのだ。

 この時は最も幸せであるように。ではなく、単純に相手が言いたかっただけの様な気がする。けれど、これがおそらく友人が気にしていた「裏切り」に近しいものなのだろう。

 しかし、これをどうにかする方法はない。なぜなら相手は知らずに善意でやっているのだから。私の幸せを知らぬ限りはどうしようもなく。また知ったところで「私の好みは私が一番知っている」となる。おい私!捻くれすぎだろ私!

 これが全人類に当てはまる。というわけではない。あくまでこんな男がいるというだけの話で、これ以上を書くと「結局は善意の自己満足」「相手が満たされたいだけ」「外目を気にして生きるのは楽だもんな」みたいな。どんどん捻くれるのでやめておくとする。こんな四面楚歌的疑心暗鬼に陥ってはいけない。もう何も信じられなくなる。

 兎にも角にも、相手の幸せを本当に理解するのはそれこそ長年の付き合いでなければ無理だよ厳しいよ。という話。その上で、友達にはぜひ頑張って欲しい。幸せになれよ。

 なんて言葉も抱えながら、そろそろこたつの上に置いたみかんが温まってしまうのでスマホを置くとする。やっぱ文を書くのは楽しい私であった。