頭蓋解剖物語

ボロボロ書きます。剥がれ落ちる私を。

世界の繋げ方。

 僕のことを知っている世界がある。しかし、僕自身がその世界からリタイアしてしまって、悲しませてしまうとする時、その世界が僕の事を忘れて、笑い合って、繋がりあって、続いていくためにはどうすれば良いだろう。

 降りかかる仮の父からの暴力に耐えながら、ずっとずっと考えていた。分かった事といえば、等身大の私は夢見がちなロマンチストであるという事だけだった。

 出た答えは一つだけだった。端的にいうならそれは、自らを悪役とする事だ。いじめにおける集団心理の恐ろしさと団結力を私は知っている。それを利用すれば、私を悪と見做して非難する声が挙がる。挙がった声は混ざり混ざって一つの色になっていく。繋がっていく。

 これを書くことはきっとバカなのだろう。こんなことを考えるのはアホなのだろう。いわばマジック行う前に,種明かしをしているのと同義だ。悪を振る舞うので私を悪と見做してくださいなんて道理が通れば世の中、もっとちょろくて生きやすいさ。

 僕のことを知る世界は、僕が知っている世界でもあり、僕が愛してやまない世界でもある。嫌いな奴らに嫌われるのはそれこそ相手の声を摘むように殴りつければそれで良いが、愛する人間に嫌われるのは、きっと、死ぬほど辛い。

 全部嘘だと言えば、それで終わりだ。僕だけが終わって、僕以外は続いていく。言の葉を紡ぐ筆と我を折って、私はずっと続いていく。

 Twitterなんてやらないで、一人で生きていた方が気楽だったな。こんなに悩むのなら。これ以上、僕が私にTwitterを強いる事はない。夏の終わりを感じさせるのが涼風であるように。繋がりは、続くからこそ温かいのだ。

 周囲の声は色々とあるだろう。周囲の声はその年齢分、自分を生きて、積み上げてきた価値観を元に挙がる声だ。それらは人生において、不正解ではないのだと思う。ただ、自分の生き方においてはどうなのか。それは人それぞれだ。

 正しい物。というのは人によってすり替わる。仕方ないのだ。だって誰しもが、自分の世界を愛しているのだから。

 世界を繋げることとして、「悪役」というワードを用いた。他者にとっては害悪で、自分本位な悪役だ。自分以外の誰もが、その意図を測り得ない。その「悪役」を「最高の悪役」と呼んでいる時点で、私はもう自分本位なのだ。

 前を向いて歩けよ。振り返って「あったもの」を数えても、そこに戻りはしないんだから。今あるものを果てしなく抱きしめてくれ。私をその腕の中に入れないでくれ。

 Twitter上のキャラクターを演じる前に,私はあの家族の長男として,強くないといけないから。人の優しさの温かみは、私を弱くさせてしまうから。