頭蓋解剖物語

ボロボロ書きます。剥がれ落ちる私を。

随想

 私はよく、傍観している。ような気がする。

 今日未明、と言うには少々朝方だが、確か私は傍観者で良い。みたいな発言をしたような気がする。

 いつから傍観者だったか。そういうのはあまり覚えていない。ただ、私が初めて傍観者となったのは言うまでも無く友の横であっただろう。

 

 見ているのが楽である。というのもあるが、それだけには留まらない気がしている。

 

 笑っていてほしい。泣く人は放っておけない。誰かの何かに応えたい。怒りの拳も受け止めよう。喜怒哀楽の何かが露呈する。その瞬間を待ちわびている。欲を千切って駆け寄って、利用されるか否かは問わず人に尽くす自分が好き。誰かの役に立っている。ありがとうの言葉の裏も見ずに信じ込む。

 

 そんな性分損な性分。言われ慣れたし言われ続けている。

 

 信じ込むという束縛。なんてのは自分でも分かっている。

 

 いうなれば、病に罹っている。

 

 信じてばかりじゃ使われる。

 疑い尽くせば孤立する。

 

 その真ん中には生きられない。私は長くは続かない。

 

 いずれ文の道も忘れて、この場所も忘れる。そんな時が来る。けれども人を見る場所は無限大だ。のうのうと生きて、やっぱり人を見ているのだろう。

 それがこの男の残滓か。はたまた僅かな手掛かりか。

 心の中には俺一人。ぽつりと立って傍にはお酒。そんな男を上から眺めて、思いを馳せても価値は無い。

 私という人間は私が一番知っている。関わったところでロクな事にならないだろう。

 だから私は傍観者。横にはお茶と団子で良い。