頭蓋解剖物語

ボロボロ書きます。剥がれ落ちる私を。

血で繋がれぬ貴方に。

「そろそろクリスマスの季節か……」


窓に積もる雪、男が一人で外を眺めながら感傷に浸る。


「何しみったれた顔してんのお前?」


突如、屋根裏から出て来たのはこの屋敷の居候だ。


「いいだろ少しくらい、私にだって人肌の恋しい時があるのさ」
「俺がいるじゃんかよー独りぼっちみたいにいうなよー」


居候が飄々とした態度で屋根裏から這い出てきた。


「お前、俺は”人肌恋しい”って言ったんだぞ?」
「そういうお前も人間じゃないじゃん?」
「そういう君は”元”だろう?」


二人の喧騒はエスカレートしていく。


「体の無い君よりはマシだろう、人間からも視認されず、また温もりを感じる肌もない。」
「人間なんてお前からすれば歩く輸血パックだろ?人肌恋しい?輸血パックが恋しいか?」


ついに二人の怒りが戦いの火蓋を切って落とした。


「さっさと人間に憑いていけ無能幽霊が!」
「貧血でぶっ倒れろ!クソ吸血鬼!」


聖夜に二人の化け物が大人げなく喧嘩していた。
そうして待つこと二十分。


「悪霊退散!悪霊退散!」
「ニンニク!太陽光!」


二人の知能が子供に戻っているようなそんな時。
ドンドンドンドンッ!
大きく扉が叩かれた。

 

 

 

 


「おい、とりあえず来客から処理するか」


そう言って吸血鬼が蝙蝠の群れとなって窓から確認する。

しかし何一つ影は見えない。


「なんか怪しい感じがするね」


化け物にとって人は敵、怪しむのも無理はなかった。


「……それなら仕方ないな」


幽霊が近くの服を纏って人の形を織りなす。
吸血鬼がそれを確認して爪を構える。
意を決し、鍵を開けて扉を開く。
するとそこには……


「あ、あの、すみません!」


背の小さな女性がそこに立っていた。
それを見た瞬間、
吸血鬼は笑顔を取り繕って爪を隠し、
幽霊がホッとした表情で奥の部屋に逃げ込んでいった。
化け物達でも子供の涙には弱かったのだ。


「……?誰もいないんですか?」


彼女は小刻みに震え、何かに怯えた様に言った。


「いや、いるけども。こんなところにどうしたんだ?」


応答する吸血鬼、そしてその様子を幽霊が天井から見ていると。


「私の呪いを解いてください!」


女性は常軌を逸する事を言い始め、


「はっ?」


常軌を逸した化け物は理解が追い付かなかった。

 

 

 

 


「とりあえず、君は呪いを解いてほしいと?」
「はい、次第に体に異常が見え始めて……」


彼女がそう言って服を脱ぐ、そして指で背中を指さす。


「最初はここらへんにあるはずの模様からでした」


彼女には背中を中心として火傷の痕の様なものが広がっていた。


「それが体を蝕んできて、ついには目が見えなくなりました」
「なるほど、これを解きたくてここに来たのか」
「ここは診療所だと聞きまして、相談に……」


その言葉で幽霊と吸血鬼が固まる、そして吸血鬼が紙を取り出した。

 

『いつからここは診療所になったんだい?吸血鬼さんよ』

 

『ここは山奥だ、診療所なんて無いぞ』


『山の麓には一個あるぞ!』


『そういえば昔はよくそこに輸血パック飲み行って叱られたなぁ』


『そりゃ叱るに決まってんだろ!』


『君に言われて血を飲むのすら辞めたんだからね!』


「あのー?」


二人の談義が彼女の一声で終わりを告げた。


「あぁ、大丈夫ですよ」


吸血鬼が無理矢理話を切り上げる。

 

しかし。


「大丈夫なんですか!?治るんですか!」


言葉とは時に難しいものである。

 

彼の”大丈夫ですよ”は変に解釈されてしまった。


「えぇ!?いや」

「あっ……そうですよね、すみません」


否定的な言葉をぶつけてしまった。その瞬間に目に見えて落胆する彼女を見て吸血鬼の中に一つの黒い心が浮かんだ。


「いやいやいやいや、尽力いたしますから!」
「しかしお金は……」
「使わないのでご安心ください!」
「本当ですか!」
「はい、明日から無料で来てください」
「はい!」


吸血鬼は人肌恋しい時期であった。


「では私は一度帰りますね!」
「ええ、また明日にでも来てください」
「はい!」


彼女が帰るのを二人で見送る。
      

 

 

 


「んで、なんで俺がお前のパシリにならなきゃならんのだ」


彼女が帰った後、二人は屋敷の書斎に集まっていた。


「はい、口じゃなくて手を動かしてくれ」
「おらよ、あともう三冊投げるぞ!」
「はいはい」


幽霊が投げる本を翼で包み込んで止める吸血鬼。


「それでお前、どうすんの?」
「何が?」
「治療の件だよ、呪いの」
「そいつの原因はわかってるさ」
「呪いをかけるのは悪魔だ、不死身で毒を持つあれだよ」
「なんでそんなのがあの子に呪いなんか……」


吸血鬼はさっき受け取った本を開いて見せた。


「ここを読んでみて」


幽霊が見た本のページには”死んだときに一番近い生物に呪いをかける”と書いてあった。


「んで、解決策は?」
「一つあるよ、それもいつでもできる奴」
「じゃあそれやればいいじゃねぇか」
「あの子を吸血鬼にする」


吸血鬼の言葉が安堵していた幽霊の心に深く突き刺さった。


「ほら、次の本はまだ……」


その時、吸血鬼に本が投げられた、軽く取る吸血鬼。


「危ないじゃないか」
「お前、騙した挙句に”噛む”つもりか?」
「私が何年血を吸ってないと思っているんだ」
「だからってお前はっ!」
「父曰く、血の渇望を抑えてこその一人前らしいよ?」


その教えは吸血鬼の在り方自体を否定する言葉だった。


「じゃあどうやって治すんだ?」
「それを今探しているんじゃないか」
「なんじゃそりゃ……」
「ところで次はまだ?」
「お前ってさ、なんだかんだ甘いよな」


幽霊が本を投げる、その表情は笑顔だった。


「そうかな?一つ思いついたのがあるけど却下だよ?」
「なんでだ?」
「私だってまだ生きたいさ」
「それは駄目だな、お前が居ないとつまらん」


幽霊が自分の胸を叩く。


「やめてくれ、罪悪感に苛まれる」
「本当に優しい吸血鬼様だな」
「うるさいよ、それにこんな時間だし寝ようか」


時計の針はすでに十二時を指しており、吸血鬼は棺桶に、幽霊は墓場に戻っていった。
      

 

 

 


「すみませーん!」


誰かが扉の戸を叩く。時計はまだ朝六時、二人が走ってきた。

 

「いやぁ、ごめんごめん、さぁさぁ入って入って」
「いえ、こんな早くにすみません」
「それじゃあ早速始めると……」


吸血鬼の声を遮ったのはお腹の中の虫の声。


「……朝食べました?」
「実は何も……」


吸血鬼がそういうと彼女が鞄の中から袋を取り出す。


「たぶんこれだと思うんですけども……」
そういって彼女の開けた袋にはクッキーが出て来た。
「なにが入ってます?」
「クッキーが入ってますね」
「なら良かった!」


彼女は嬉しそうにしてこちらにそれを差し出した。


「いいんですか?」
「お世話になるので焼いてきたんですよ!」
「目も見えないのに焼けるんですか?」
「自分の身の回りの事は感覚でなんとなくわかるようになったんですよ」
「そうなんですね……では、いただきます!」


そういって吸血鬼は口にそれを運ぶ、噛んで砕ける食感にバターの香り。


「美味しいですね!」
「母から教わったので自信作です!」
「素晴らしい人ですね!」


そう言っていると天井から幽霊が垂れ下がってきた。
そして幽霊が3個持って行った。


「ありがとうございますってあれ?」


彼女がクッキーの減りように気が付く。


「す、すみません、つい食べ過ぎたようで……」
「いえいえ、大丈夫ですよ!」


焦って誤魔化す吸血鬼が話を振った。


「それで呪いの件なんですけども」
「はい」
「異常が見え始めたのはいつですか?」
「いつから背中がこうなったのかは分かりません」
「ただこの模様を鏡で見た時に目が……」
「とりあえず、見た瞬間に目が見えなくなったんですね」
「はい」
「では目が見えないこと以外に異常は見られますか?」
「最近夢で歌が流れて、それに聞き惚れてて……」
「夢に変な歌が流れるんですね」


吸血鬼がメモを取って幽霊にハンドサインを送る。


【悪魔教典を開いて、調べてくれ】


幽霊が親指を立ててこっちに向ける。


【飲み物だな!任せろ!】


全く通じていなかった。
      

 

 

 


「後はほかにありますか?」
「いえ、今のところは特にありません」
「そうですか、分かりました」


吸血鬼が席を立つ。


「では今日はもう終わりですか?」
「今は経過観察だけなので、終わりですね」
「分かりました!」


そう言って彼女が帰ると思いきや、鞄から何かを取り出した。


「すみません、ビデオカメラで撮ってもいいですか?」


予想外な事を言いだした彼女に吸血鬼が慌てる。

 


(私の姿って鏡に映らないけど、ビデオに映るのか?)

 


葛藤している間に幽霊が飲み物を持ってきた。


「まぁ、まずは話しましたし飲み物でもどうぞ」


吸血鬼はそう言って幽霊に向かってガッツポーズをする。


【いい時に来てくれたな】


幽霊がそれを見て不敵に微笑みながら返す。


【俺らは以心伝心だぜ!】


やっぱりこの二人は通じていなかった。
そして彼女にもまた通じていなかった。


「この飲み物は何ですか?」


彼女はカメラを構えて飲み物を撮っていた。


ダージリンって答えろ!』


幽霊が大きな紙にそう書いて示す。


「それはダージリンっていう紅茶だよ」
「紅茶ですか!?そんな高価なものを頂いても?」
「良いですよ、お客さんですし」


そういうと彼女はニッコリと微笑んで、


「今日、十二月二十六日、初めての診察で私は初めての紅茶を飲みます!」


喋りながら動画を撮り始めた。


「くださったのはこちらの先生です!」


彼女がカメラを吸血鬼に向け、吸血鬼はつい手で隠してしまう。


「あの、そういえばお名前は……?」
「えぇっ!?あ、あぁ、名前ね、名前か」
『ルーカス!お前は今日からルーカスだ!』


またしても幽霊の援護が入った。


「わ、私はルーカスと言います、貴方からご相談を受けた者です」
「ルーカスさんですね!そう!このルーカスさんから紅茶を頂きました!」
「私も、その、彼女からクッキーを頂きました」
「まだまだ道のりは長いけど、頑張っていこうと思いまーす!」


そう締めくくって彼女はビデオを下した。


「本当にありがとうございます!」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「凄く動揺していたようですけど……?」
「カメラには慣れていないもので」
「あぁっ!すみません。今度から気を付けます!」


そういって彼女は手探りで何かを探し始める。
幽霊が椅子の上にある鞄を近くに置いた。


「ああ、あったあった」


彼女がそれを手に取って立ちあがる。


「それでは、今日はもう終わりですかね?」
「ええ、そうですけども」
「では失礼しました!」
「ちょっとお待ちください」


帰ろうとする彼女をルーカスが止めた。


「どうしました?」
「そういえば君の名前を聞いてないなと思ってね」
「そういえばそうでしたね!」


そう言って彼女は振り返ってお辞儀をした。


「私の名前はヘレネって言います!よろしくお願いします!」


ヘレネは靴箱に向かってお辞儀をしていた。
ルーカスがそそくさと靴箱の方に移動してから、


「ああ、これからもよろしく頼むよ」


お辞儀を返して答えた。


「はい!」


ヘレネはそう答えて帰っていった。
      

 

 

 


「おいおい、お前ってカメラに映るのか?」
「映らないんじゃないかな?やった事ないけど」
「映らなかったらヤバいんじゃねぇの?」
「治って見えるようになったらこの城から逃げようか」


ルーカスが笑いながら本を読み漁る。


「まぁ治るかどうかはわからんけどな」
「いや?少なくとも今回の情報だけでも割と範囲を絞れるよ」


よくみるとルーカスが本にペンを入れていた。


「そうなのか?」
「夢に出てくるのは悪魔の誘惑さ、中毒性があるらしいよ」
「中毒になったらどうなるんだ?」
「まず起きたら誘惑が聞こえなくなるだろ?」
「そしたら次に聞くにはどうするか考え始める」
「そして夢の中でしか聞こえない事に気が付く」
「だから最後には寝たきりで起きなくなる」
「その時を狙って、悪魔は殺しにかかるのさ」


淡々とした口調で話すルーカスに対して幽霊は真逆の態度だった。


「それってやべぇんじゃねぇのか!?」
「悪魔が死なない事を考慮すると、とても不味いよ」
「俺も外を回って情報を集めるから待ってろ!」


幽霊が飛び出していった、静寂がルーカスを包む中、


(こうなれば、この呪いの目的を調べる必要があるかな……)


ルーカスは口を止めても、思考や手は止めなかった。


「おい、お前たち!少しいいか!」


幽霊のその声に反応してたくさんの幽霊たちが出てきた。


「おう、吸血鬼の所のポルターかの」
「その名前はなんか恥ずかしいからやめろ!」


かなりの年を取った幽霊にポルターがすがりつく。


「ここらで悪魔を見なかったか?」
「悪魔かの?おぬし、呪われたのか?」
「知り合いが呪われたんだ!」
「それは辛いことじゃ、しかし諦めよ」


高齢の幽霊が言い放った。


「なんでだ!」

「悪魔は呪いをかけた後、ほとんど姿を現さんのじゃ」
「居ない訳じゃねぇんだろ!」
「しかし、見えないんじゃよ」
「それでも俺は諦められねぇんだよ!」


ポルターは諦めきれず人間の世界を奔走し始めた。


(あいつが居なくなるだけでここまで静かになるんだな)


ルーカスが時計を確認すると、既に十二時を回っており、ポルターが飛び出してから二時間が経っていた。


(そろそろ寝ないと、あいつは、まぁ、すり抜けて入ってくるだろう)


そう思ってから棺桶に入る、一人で夜を過ごした。
      

 

 

 


そしてルーカスは一人で朝を迎えた。


(あいつはまだ帰ってないのか)


そう思って紅茶を淹れ始めたころにヘレネはやって来た。


「すみません!遅れました!」
「時間は決めてないから大丈夫だよ」
「そうですか?それならよかったです!」


安堵しながらヘレネは鞄からあの袋を取り出した。


「今日はまた違うのを作ってきました!」


そういって入っていたのはふっくらと焼き上がりバターの香ばしい香りを漂わせるシフォンケーキ。


「これはまた美味しそうな……」


朝ご飯の食べていないルーカスには垂涎の一品だった。


「また食べてないんですか?」
「他の物を嗜もうとね……」


そういってルーカスも紅茶を持ってきた。今日の紅茶はほんのり甘く温かいミルクティー
そしてシフォンケーキを撮るヘレネの前に置く。


「ん?何かを作ったんですか?」
「ミルクティーだよ、ケーキと合いそうで良かった」
「いえ、紅茶に比べると私のケーキなんて……」
「価値を決めるのはお金じゃないさ」


そういってルーカスは紙とペンを用意し始める。


「それでは、食べながら経過観察のお時間です」


そう言われてそそくさとヘレネがカメラを置いて話し始めた。


「はい、今日変わったところはですね……」


ヘレネが少し悩んでから止まる。


「どうしたの?何もないとか?」
「いえ、あった事にはあったんですけど、どうにも思い出せなくて……」
「むしろそれは”何も思い出せない”っていうのが症状だね」


ルーカスがメモにまとめてハンドサインを出そうとする。


しかし、それに答える者は居ないと気付いて辞めたのだった。


「他にはないですね、忘れているだけかもしれませんけど」
「とりあえず、忘れることが分かっただけでも良しとしましょう」
「そうですね!」 


経過観察という名の談義が終わった所でいつもの時間が始まった。


「今日も診察でした!しかし、まだ呪いは解けていません!」
「私も尽力いたしますのでどうぞよろしくお願いします」


カメラに映るのも慣れてきた気がする。少なくとも最初の様な嫌悪感はない。


「まだまだ道のりは長いけれど、一歩一歩が積み重ねて……」


そこから先に言葉を繋ぐことさえ、彼女はできなかった。


「あれ、ヘレネさん?ヘレナさんっ!」


ルーカスがヘレネを抱きかかえる、汗を大量にかき、何よりも背中が燃えているかのように熱い。
ルーカスは無意識に悟ってしまった。
もう、時間が無いことを。
      

 

 

 


「ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!」


街に響くポルターの慟哭は人間には響かなかった。


(悪魔どころか解決策すら分からねぇ!)
そして、
(クソッ、ついには動けなくなってきやがった……)


一日中、生気も乏しいままに動き回ったポルターの身にも限界が来ていた。


(いったん帰った方が良いのか……?)


そんな思いがポルターの中をよぎる時。


「ねぇねぇ知ってる?」
「なにがだ?」


一緒に犬の散歩をしている二人の会話が耳に入る。


「呪われた女の子がいるって話」
「あぁあぁ、あの診療所たらい回しにされてる子供だろ?」


あのヘレネの話だとポルターは直感した。


「そうそう、それそれ」
「そいつがどうしたってんだ?」
「何でも最近、山の奥に入り込んでるらしいわよ」
「マジで?あの山には吸血鬼が住むって噂されてるじゃねぇか!」
「そうそう、ついに当てがなくなったのかなって」
「それで吸血鬼にすがるようになったてか?」
「そうなんだけどね、最初に女の子が来たっていう診療所の人曰く……」
「もう、”もたない”らしいわよ」


その言葉がポルターを走らせた。


(急いで戻って知らせねぇと!)


限界の体に鞭を打って駆け抜けるポルター。


(ふざけんじゃねぇ!あいつがやっと笑えるようになったってえのに!)


「神様、頼む!頼むから!あの二人に幸せな未来を!」


ポルターの慟哭に反応するのは誰もいなかった。
      

 

 

 


ベッドに寝かせて、濡らしたタオルを頭にのせる。


「とりあえず、応急処置はこれで良いかな」


軽く処置をしてから、悪魔教典を開き、メモと照らし合わせていく。


「呪歌に、記憶障害に、昏睡に…………」


照らし合わせること十数分。


「いやっ!いやだっ!」


ヘレネが悪夢にうなされ始めた。
ルーカスが手を握って話しかける。


「聞こえてるかは分からないが、私はここにいる。落ち着いて、大丈夫だから」


それを言った瞬間、ヘレネの表情が和らぐ。


「ルーカスさん、私は、助かりそうですかね……」
「最初に言った通りだよ」
「じゃあ……」
「ああ、その呪いを解いてあげよう」
「だから、少しだけ手を放すよ、あとカメラを借りてもいいかい?」
「はい……」


その言葉を聞いてルーカスが蝙蝠の群れに変貌する。
そしてヘレネのカメラの電源を付けてヘレナに構える。


(悪魔は絶対に、絶対に、今日、やってくるはずだ)


そう考えている時、カメラ越しに黒い靄が映る。
その靄が次第に悪魔へと変貌していく。


(ヤバい!) 


悪魔が変貌した時、既に槍を構えていた。
ルーカスが決死の思いで突撃し、窓から己の身ごと飛び出した。


「きゃあっ!?」


ヘレネが窓を破る音に反応して起きた時、周りは静寂に包まれていた。


「ルーカス……さん?」


ヘレネの声がルーカスに届くことは無かった。
     

 

 

 

 


地面に叩きつけられた悪魔、それをカメラ越しに見下ろす蝙蝠。


(カメラが無いと見えないのは面倒臭いな……)


「ジャマヲスルナァ!」


悪魔の叫びと共に土煙の中から槍が投擲された。
いきなりの事に対応できず、右腕ごとカメラが吹っ飛ぶ。


「オマエノ、オマエノ、オマエノセイデェ!」


悪魔の金切り声が山に響く。


「うるさいな、私だって右腕が飛んだじゃないか」


(血を吸ってなかったからか、再生できないな)


そう思っている時、後ろから左足を貫かれる。


(この槍、戻ってくるのか……!?)


蝙蝠の群れを保てずに人間の状態に戻り、地面に叩きつけられた。


「コロスゥ!」


悪魔の足音だけが聞こえる。


「どこにいるんだ……」


ルーカスが周囲を索敵しようと見回すと、
自分の右腕と左足が宙に浮き、揺れ動きながら近付いてきていた。


(槍はあそこにあるんだな……)


「待っていてください、今から呪いを解きます!」


敵の位置を把握したルーカスがそう叫んだ。


「オマエニ、オレハ、コロセナイィ!」


そういって悪魔が槍をルーカスに向ける。


「キエロキエロキエロキエロキエロッ!」


突進してくる悪魔に対してルーカスは真正面から飛び掛かった。
悪魔の槍がルーカスの下半身を抉り取る。


「邪魔だぁ!」


ルーカスが貫かれた下半身を爪で切り離し、慣性で前に吹っ飛ぶ。


「クソガァ!」


悪魔がそれを見てルーカスに向かって大口を開ける。


「人の世の中にはこんな言葉があるそうだ!」


悪魔の噛みつきが左手を捉えた。
しかしルーカスはそれを利用して首に巻き付いて絞める。

 


「”人を呪わば穴二つ”ってね!」


そしてルーカスは悪魔の首筋に牙を立てる。


「クソガクソガクソガッ!」


悪魔が剥がしにかかるが、ルーカスは決して離れない。


(駄目だ、まだ離れるわけには行かない。あと少し吸わないと……!)


ルーカスの顎の力だけでは抵抗しきれず、どんどん引き剥がされていく。そんな絶望的な状況の中で。


「どんな状況だが分からねぇけどよ!助けるぜ!」 


聞き覚えのある声。
ずっと聞いていた騒がしい声。
聞かなくなってから寂しくなったあの声。
その声に反応してルーカスが上を向く。
そこには息を切らしたポルターが居た。


「少しばかり体を借りるぞ、悪魔ぁ!」
「お前っ!」
「さっさと吸いまくれ!吸血鬼ぃ!」


涙を流しながらポルターがルーカスに言う。

 

(ありがとう……本当にありがとう……)


ルーカスはその胸に言葉を秘めて十分に血を吸った。


「ジャマヲスルナァ!クソォ!」
「もう戻れるのかよ!」


ポルターが体からはじき出された瞬間。
ルーカスの上半身が、地面に崩れ落ちた。


「おい!ルーカス!返事をしろ!起きろ!」


ポルターが泣きながら体を揺する。


「毒が回るからやめてよ」
「お前!大丈夫なのかよ!」
「毒も回るし、血も流しすぎて、もう目も見えなくなった」
「お前っ……」
「その代わり作戦は成功した、悪魔ももういない」


その言葉にポルターが振り返ると、赤子が転がっていた。


「あれがあの悪魔さ、今は吸血鬼の赤子だけど」
「お前、本当に呪いを解いたんだな!」
「ああ、だけどね……」
「ルーカス……?」


ポルターが泣きながら名前を呼ぶ。


「どうしたのさ、ポルター」


ルーカスが呆れ顔で答える。


「お前、なんで、再生しないんだ……?」
「本当なら却下した方法なんだけどね」
「お前言ったじゃねぇか!”私だって生きたいさ”って!」
「私は”尽力します”とも言ったよ」
「お前」
「ポルター」


ルーカスがポルターの言葉を遮って話す。


「”お前の頼みならおれが犠牲になるぜ”とまで言ったよね?」
「……ああ、言ったけどよ」
「じゃあ、少し多いけど三つだけ……いや二つ頼まれてくれないか?」


ルーカスが笑ってポルターに頼みごとをした。


「ああ、分かった、お前の頼みだしな」


ポルターが泣きながら約束した。
      

 

 

 


「どうなったの?私はどうすればいいの?」


ヘレネは部屋のベッドの上でうずくまっていた。


「ここはどこなの、私の荷物は……?」
「ルーカスさん、ルーカスさんはどこ……?」


目が見えるようになっても、ヘレネにはわからない事ばかりだった。


「早く……誰か……来てっ……」

 

恐怖に押しつぶされそうになるヘレネに、


「ごめんな」


聞き覚えの無い声が聞こえた。
それと同時に彼女の意識は遠のいていった。

 

 

 

 

 


「おい、大丈夫か!?目を覚ましてくれ!」


あれからどれくらい経っただろうか、それすらも分からない時に、
聞き覚えが無い誰のかも分からない声が頭の中に響く。


「君!最近山に入っている女の子じゃないのか!?」


その声で反応して起きたその目には、
空の青さが、
山の緑が、
診療所の白さが、
持っている鞄の黒が、
何もかもか鮮明に輝き、彩られた華麗で世界がヘレネを歓迎した。


「あっ……見えるっ!見えるよっ!」
「起きたと思ったら何だ?見える?なにが?」


医者のその様子にヘレネは困惑して、


「あの、すみません。ここらへんでルーカスっていう方を探しているんですが……」

 

彼女はそう藁にもすがるように人に問う。

しかし、帰ってきたのは。


「ルーカス?この診療所の創設者はその名前だが、とっくに亡くなっている」

 

そんな事実だけだった。


「そ、そうですか……」


名前を聞いて落胆している時、カメラの存在を思い出す。


「そういえば貸したままだっ!」


ヘレネが慌てて鞄の中を漁ると、少し汚れたカメラが入っていた。


「あったあった!良かった……」


カメラの確認が取れたことで落ち着きを取り戻したヘレネは、走った。
向かうは自分の住んでいた家、帰りたいというわけではなかった。
カメラをテレビに繋いで顔を寄せて映像を流し確認し始める。
待てずに早送りすると、12月26日に辿り着いた。
そしてその日付には。


「この飲み物は何ですか?」
「それはダージリンっていう紅茶だよ」


あの場所で撮った動画が残っていた。
そしてそのカメラが撮っていたのは、
手で顔を隠す男性の姿だった。
手の隙間から見える白い肌に八重歯の男性が映っていた。


「これがルーカス先生……」


ヘレネは一番会いたかった男性が映っていることに感動していた。


「今日も診察でした!しかし、まだ呪いは解けてません!」
「私も尽力いたしますのでどうぞよろしくお願いします」
「まだまだ道のりは長いけれど、一歩一歩が積み重ねて……」

 

そこでいきなり言葉が止まった。


(ん……?なんで私は止まったんだっけ?)


突如止まった自分の言葉、その理由に頭を抱えていると、


「あれ、ヘレネさん?ヘレネさん?」


慌ててカメラの外から自分を抱きかかえるルーカスの姿。
カメラ越しの状況がヘレネには飲み込めずにいた。
      

 

 

 


「とりあえず、これだけしておけば大丈夫かな」


ルーカスの声がカメラから流れ、その声に反応してヘレネがカメラ前に戻る。


「誘惑  に、記憶障害に、昏睡に…………」


ルーカスが何かの本を読みながら考えている姿が映されていた。


「あの後もカメラは動いてた……?」

 


ヘレネがまだ知らぬ領域に踏み込んだ瞬間だった。

 


そして時間にして十三分経ったころにその続きが再生される。


「はい……」 


ヘレネがそう答えた瞬間、カメラが部屋の隅に置かれる。
そして黒い靄が自分のそばに湧き始めた。
ヘレネがそれに気付いたと同時に、ヘレネは自分を狙う悪魔の顕現を見てしまった。


(嘘……こんなのに私は狙われていたの……?)


画面越しで怖がるヘレネに対してそのカメラは果敢にも悪魔へと体当たりし、窓に落ちていく。


(ん?コウモリ?)


ヘレネがついに蝙蝠に気付いた。


「うるさいな、私だって右腕が飛んだじゃないか」


そして聞き覚えのある口調と声が、蝙蝠の群れから出ているように感じた。
しかし、またも貫かれたコウモリは次第に傷付いた人の姿に戻っていく。
そしてその姿にヘレネは見覚えがあった。


「ルーカスさんっ!」

 


ヘレネは気付いてしまった。

 


地面をはいずりながら周囲を見渡す男が。


人間の限界を超えた男が。


血まみれになってまで、

 


「待っていてください、今から呪いを解きます!」

 


そう叫んだ男が自分の恩人であることに。

 


「ルーカス……さん……っ」


大声をあげて大粒の涙をこぼし、家の中で一人泣き続けた。
しかし、次の瞬間。


ヘレネさん、見てます?」


ルーカスの声が流れた。


ヘレネが涙を拭いて動画を見る。


そこには瀕死の状態で笑うルーカスが居た

 

もう助からないことを悟ってしまった。


「いえ、見れてますかね?」
「とにかく伝えたいことがあります」
「まぁこの動画を見てるなら分かると思いますが」


「まず私、吸血鬼です」

 

死にかけたルーカスがカメラの中で告げた。


「それで悪魔を倒して呪いを解きました」
「あなたを診療所に送ったのは私の友人です」


「最初はね、楽しくなりそうかなと思って貴方の依頼を受けたんですが」


「お菓子はおいしいし、話してて楽しいし、満たされた三日間でした」


「その三日間であなたは私を変えたんです」


「楽しくなりそう、から、助けてあげたい。と、それこそ、命を賭ける程」


「それは吸血鬼の私には決してできない事です、それほどまでに貴方は魅力的だった」
「そんな魅力的な女性だからこそ、どうか自分を責めないでほしい」


「笑って毎日を過ごして、世界の色んなものを見てほしい」


「それじゃあ、私からのお話はここまでにしようと思います!」


それは以前ヘレネがカメラの締めくくりに言った言葉。


そしてビデオの再生が終わるまで、ルーカスは最後まで笑っていた。


けれどヘレネの涙は、止まらなかった。


「わだしこそっ!ありがとうございましたぁ!」


ヘレネの慟哭。

それは街に、人間に、響いた。

      

 

 

 

 


「じゃあ、少し多いけど三つだけ……いや二つ頼まれてくれないか?」

 

「ああ、分かった、お前の、頼みだしな」


ポルターが泣きながら約束した。


「まずは赤子を処理してほしい」
「おう……」
「そしてヘレネに憑依して本当の診療所まで運んでやってくれ」
「もちろん、ヘレネの物も全部集めてね」


その言葉が何を表しているのか、ポルターには分かってしまった。


「お前、ヘレネに会わない気か?」
「君は死体となった恩人をあんな女の子に見せつけるのかい?」


その言葉がポルターには信じられなかった。


「何でお前はそんなに冷静でいられるんだよぉ!」
「慌てても私はもう助からないからね」
「三つ目の」
「ん?」
「さっき言いかけた三つ目の願いは何だよ!」
「何?聞きたいの?」
「未練がましいじゃねぇか!」
「幽霊が未練とはね……まぁ大丈夫だよ」
「本当に大丈夫なのか……?」
「ああ、目が見えなくとも、身の回りの事は感覚でなんとなくわかるようになるって聞いたんだ」


そういってルーカスが右足でカメラを引き寄せる。


「分かったよ、後は任せろ」
「ありがとう」
「おうよ」


そういってポルターは赤子を持って行った。
        

 

 

 

 


あれから数週間がたった。
本来、根拠のない噂は手を放した風船のように飛んでいく。
しかし山奥の噂、あの山は吸血鬼が根城としているという噂だけは未だに消えていない。
物音や喧騒の声が聞こえると噂のスポットだ。


「お前!どれだけ心配したと思ってんだ!」


「いや、まさかね、私自身も幽霊になるとは思わないよね」


「幽霊の吸血鬼なんて聞いたことも無いわ!」
「人に生前の自分の名前を付けるのも変な話だと思うけどね」


「うるせぇ!思いつくのがあれだったんだよ!」


「ネーミングセンス考えようよ」


「ポルターとかガイストとセットになるような名前はお前のだろうが!」
「じゃあ今度から私はガイストか」
「コンビじゃねぇよ!」


今日も今日とて館に響く喧騒。


「ん?なにか聞こえたような」


それに耳を傾ける女の子が一人。
ドンドンドンドンッ!


「あ、あの、すみません!」


今日も今日とて大きく扉が叩かれたのだった。