頭蓋解剖物語

ボロボロ書きます。剥がれ落ちる私を。

「ありがとう」

僕は化物。人間じゃない。
 だから今日はトマトの被り物を被ろう。
 真っ赤な実に白い光沢、少しばかりの青いへたが少しばかりいいアクセントになっていると思う。そんな被り物をかぶっても僕はしっかり周りが見える。

 だから僕はいつも、被り物を被って外に出る。

 僕は人間が好きだ。
 なぜなら、彼らはとても楽しそうに時間を過ごすから。
 それを見ているだけで僕は幸せなのだ。
 けれど、僕は人間と関わる事が出来ない。
 僕は少し皆とは違うんだ。

 

 お腹も空かないし、疲れも無い。寝る必要性も何もない。そんなこと知らなかった僕は知ってしまった日に逃げ出して、気が付けば街の外れの廃屋に居た。


 孤独だった。けれど、その孤独が今の僕にとって心地よいものだった。


 だから僕は一人でいい。ただ外から眺めているだけでいいんだ。
僕は街が好きだ。だからよく街に行く。
けど僕は大通りを通るのが少し怖くて、公園のベンチに腰かけている時だった。

 

「あの、すみませんそこのお方」

 

 そんな声が聞こえた時、僕は最初全く動かなかった。声を掛けられる事なんて無かったし、声を掛けられるなんて思ってもいなかったからだ。

 

「あの、そこの……ト、トマト?の人?」

 

 その言葉が確証的だった。それに少しだけ違和感を覚えた。


 なぜなら、その言葉が上から掛けられたように感じたからである。


 咄嗟に立ちあがってから上を見上げると、僕の目に映ったのは茶色の靴の裏だった。細い木の今にも折れそうな枝の上、その上に居たのは黒猫を抱きかかえた一人の少女。

 

「すみませんが、降ろしてもらえませんか?猫を助けようとしたんですけど降りれなくなっちゃって」

 

 その言葉を無視しようかと考えたけれど、トマトの被り物を指して言われているのに無視するのはどうかなと思って。


 手を伸ばして彼女の身体を掴んで、僕はそのまま地に降ろした。

 

「ありがとう!」

 

 その声に頷いて答え、僕は公園から背を向けて歩いた。

 

 その日から、僕と彼女の関係は始まった。
僕は公園が好きだ。色んな人が集まるから。

犬の散歩をするお婆さん、ボールを投げ合う子供達、赤ちゃんの涙を奮闘する父親、のんびりコーヒーを飲む仕事着のお姉さん。
公園で思い思いの時間を過ごす彼らは、当然、僕に奇怪な視線を送る。

それを悟って立ち上がった。
その時だった。

 

「今日はゾウなのね!」

 

後ろから聞き覚えのある声を掛けられた、振り返ればそこには昨日の彼女がいて、ニンマリとした笑顔を見せながら隣に座り込んだ。

 

「あの後、黒猫さんは私の家で買うことにしたの。ほら!」

 

そういうと後ろから猫が僕の背中を登ってくる感触があった。振り向くと朱色の首輪をつけた黒猫が一匹。僕はよく猫に好かれる。恐らく、大きくて登りやすいんだと思う。

 

「登っちゃダメよ、クロ」

 

そんな彼女の言葉に鳴きながら、登頂した黒猫は退屈そうにあくびをしていた。

 

「そういえば、貴方は全く喋らないのね」

 

彼女の言葉が突き刺さる。人間の言葉はほとんど独学で学んだものだから、僕に使いこなすにはちょっと難しかった。

 

「でもクロも喋らないから、貴方、猫みたいね!」

 

でも、彼女が言葉を掛けてくれるのが、とても嬉しくて、とても楽しかった。
けれど、日が傾くとこの時間も終わり。彼女にも帰らねばならない場所がある。

 

「最近、街で人が固まっちゃう事件があるそうよ。死なないでねゾウの人!それじゃあまたね!」

 

そう言いながら帰って行く彼女の背中にちょっと焦がれた気分になりながら、僕はまた廃墟に戻る。

 

けれど、僕はその途中で見てしまったのだ。

 

人が、固まる瞬間を。


「やめてくれ!死にたくないっ!」

 

そんな声が響いて、僕は急いで駆け出した。何があったのか分からないけれど、助けを求める声がしたから。

 

けど、遅かった。

 

沢山の蛇の赤い目が、口を大きく歪ませて笑う女性の姿が、暗い路地裏の中ではっきりと浮かび上がっていて、僕は咄嗟に隠れてしまった。

 

そして再び顔を出した時、あったのは人間だったもの。

石化してしまったそれからは、命を、力を、感じられなかった。

その苦悶に歪んだ表情が、逃げようと地面を引っ掻いていた手が、石となって砕かれていた足が、どうしようもなく怖くなった僕は、急いでその場を駆け出した。


次の日、僕は昨日の事を思い出して街に行くのをためらった。もしもあの時、隠れなかったらどうなっていたかと考えると、僕は怖くて動けなかった。寝ることすら出来なかった。夜は孤独を増長させて、人の暖かみを知ってしまった僕にとって、それは耐え難いものになっていた。

なのに。

 

「それじゃあまたね!」

 

そう言ってくれた彼女の姿が、笑顔が。脳裏によぎる。
初めて僕に触れ合ってくれた一人と一匹。
もしも、彼女らが石化してしまったら。
そう考えた僕は、無意識に被り物を取っていた。

彼女たちが石になったら。
そっちの方が、怖かった。
リスの被り物を被った僕は、いつも通り公園へと向かった。

その時、昨日の道は人だかりが出来ていて、あの事件の事を思い出して、今日は違う道を通った。

そして、やってきた公園にも誰も居なかった。昨日の今日だから仕方がないと言えばそうなのだろう。けど、なんだか凄く寂しく思えた。

 

「今日は……リスね」

 

その声が響くと共に横に座り込んできた彼女、しかし、黒猫は居ないようだった。

 

「ねぇ、被り物の人」

 

そして、切羽詰まったような声で話す彼女。その様子がおかしく見えて、ふと彼女の表情を見た。

 

怯えているような、そんな表情をしていた。

 

「貴方が悪い人には思えない。だから、逃げてちょうだい。お願い」 


そして、身体を小刻みに震わせて、彼女が僕にそう言った。

 

その瞬間に周囲から放たれた網が、彼女ごと僕を包んだ。そして現れた街の住民たち。

 

「昨日!私見たのよ!現場にあの男がいたのを!」

 

その言葉を聞いて、僕はようやく理解した。

 


人と化け物はやっていけないんだって。

 

 

網の中に入れられた僕。そのまま僕は枷で手足を縛られて、彼女は何とか救助してもらえた。


そして広場の中心に放り出された僕に対して、街の住民たちは石を投げつけた。罵詈雑言を浴びせた。化け物に相応の仕打ちを行なった。

 

止まらない痛み、心も体も痛い。辛い。


死ぬかもしれない。


でも僕は人間を嫌いになれなかった。


だって僕は、人間が好きだから。

 

「待って!待ってちょうだい!」

 

だって彼女が、人間なんだから。

 

「化け物を庇うなんて!」
「化け物じゃないわ!」

 

僕を守ってくれる彼女の足は震えていた。
勇気を振り絞って、彼女は前に立っていた。
なのに。その勇気は踏みにじられた。

 

「そいつもやってしまえ!」

 

その声と共に飛んできた石が、彼女の頭に直撃して、彼女の身体が崩れ落ちた。それでもなお、人間は石を投げるのをやめない。暴言を吐くのをやめない。

 

それでも立とうとする彼女。

 

けど彼女が傷付く必要は無いんだ。


だから僕が彼女を守ろう。

 

人間は枷を壊せない。
でも僕なら大丈夫。


人間は一人では無力だ。
でも僕なら大丈夫。


人間は痛みに弱い。
でも僕なら大丈夫。

 

      僕は化物。
      人間じゃない。


鉄の枷を力で引きちぎり、彼女に覆いかぶさるようにして身を守る。

 

「被り物の人…………?」

 

心配そうに見上げる彼女の涙を手で拭う。僕が出来るのはこれくらい。 


降り注ぐ雨だって、一人ぼっちの夜のより辛くない。痛くない。寂しくない。怖くない。

 

だからこの雨が止むまで、僕なら、大丈夫

そう思った時、石の雨が、言葉の風が、止んだ。

 

「おい!なんだてめぇは!」

 

その言葉に顔を上げると、そこにいたのは髪をヘアゴムで止めた若い女性。眼鏡を外して僕を見て、ちょっと不敵に笑っていた。

 

「いえいえ、私はただこの醜い者共を見下しにきただけですので、お構いなく?」

 

その声に僕は何となく、聞き覚えがあった。そして、女性がヘアゴムを外したその瞬間に、髪の毛が数本ずつに収束していく。

まるで、蛇のように。僕の目には映った。

 

咄嗟に僕は女性の前に立ちはだかった。

立ちはだかってしまった。

 

その時には彼女の頭には無数の蛇が蠢いており、沢山の蛇が、そして女性が、僕を睨んでいた。


「ありゃりゃ、君タフだね。石化が遅いや」

 

そんな女性の声が響く。しかし、そんなことを気にしている場合じゃなかった。

 

「おい!あの化け物の背中!石になってるぞ!」
「私はメデューサ。石化の魔人よ!冥土の土産にでもしなさいっ!」

 

なぜなら僕の身体は、胸元から背中にかけて、ジワジワと石になり始めていたから。

 

「それにしてもバカなのかい?人を庇うために蛇の全視界を自分に集めるなんて、正気の沙汰じゃない」

 

そういったメデューサがあの時のように口を大きく歪ませて笑う。けれど、僕に対抗できることはない。ジワジワと身体が石になっていて、息も苦しくなってきた。

 

「本当に醜いわ。人間たちも、庇う貴方も」

 

そして、メデューサは僕の被り物に手を掛けた。

 

「最後にその死に顔を見届けてあげましょうか!平和ボケしたその顔を!」

 

拒むことも許されず、被り物は容易に剥がされた。その奥の僕を見て、メデューサは一言。

 

 

 

「何も……無い?」

 

 

 

そう言った。

そりゃそうだ。

その言葉が怖くて、僕は被り物をしていたんだから。

 

その瞬間、メデューサの影から伸びた手がメデューサを影の中に引きずり込もうと身体をつかんだ。

 

いつものやつが、始まってしまった。

 

「あ、貴方まさか!それは!」

 

必死に手を拒んでいたメデューサ。しかし、次第に言葉を発する余裕もなくなり、ついには影に引き込まれ消滅した。

 

僕は化物。
人間じゃない。

 

メデューサの消滅を確認した僕は、そのまま地面にうずくまっている彼女の身を起こした。
けれど、彼女は気絶をしているようで、一向に目が覚めなかった。

そして。

 

「なんだあいつ!顔がないぞ!」

 

街の住民たちは僕を見ても、影に引き込まれなくなっていた。

 

それが何を表しているのか、なんとなく僕には分かっていた。

 

身体を起こした彼女を僕は丁寧に抱き上げて、一番先頭にいた男性に近付く。

 

「お、おい。あんた、石化が……」

 

彼は逃げずにそう言った。
けど、止まらないものはどうしようもない。
身体は次第に重くなって、僕自身の力ももう機能していないのだ。

 

だから僕は彼女を彼に預けて、一礼した。

その時に、最後に僕は一つだけ。

 

 

「…………」

 

 

彼女の耳元で囁いた。

 

 

 

 

 

あの日から、私は被り物の彼を見ていない。

庇った後、彼に守られたところまでは覚えているのに。それから先のことをなんにも覚えてなくて。
いつもの公園にも街の中にも、あれだけ身長が高くて、目立つ被り物をする彼は見つからなかった。

そして、最近はクロも居なくなってしまった。

突然、立て続けに起こったお別れが、私は納得がいかなくて。

 

「ねぇ、パパ。クロを見かけなかった?」

私はパパに問いただした。

 

「クロかい?そうだねぇ、あの子は高いところが好きだから。高いところにいるかもよ?」
「もう探し尽くしたの!」
「じゃあ、分からないかな……」
「もう!知らない!」

 

結局パパもあてにはならなくて、今日もまた私は街に駆け出した。
けど、最近街の様子もおかしい。皆私を見ると謝ってきたり、物をくれたり、理由を聞けばあの日石を投げたからって。

 

だから私は彼らに聞いたの。被り物の人がどこに行ったか知らないかって。

 

そしたら皆、知らないっていう。

 

クロも彼も見つからない。また会いたいのにどこにも居ない。なぜ居なくなってしまったのか、何も分からないまま取り残されて。

結局何も見つからなくて、公園の彼が座って居たベンチに座っていたら、ふと思い出したの。ここからわたしは出会ったんだって。

 

だから、顔を上げて見たら。


クロが、そこに居たの。 

 

「クロ!」

 

私がそう声を上げると、すぐさまクロは走り去ったから、私も慌てて追いかけた。
クロはどんどん街の外へと走っていって、やっと追いついたと思ったらそこは、廃墟になった聖教会。


とても高い建物だからクロも気に入ったのかなって。思いながら入った私の目に写ったのはたくさんの猫だった。

 

「すごいいっぱいいるのね!」

 

驚いて大きな声をあげちゃったものだから、声が反響して、猫たちが一斉に逃げちゃって。でもクロは逃げずに座ってて。

そこで私はようやく気付いたの。猫たちの足場になっていたものに。

 

それは、座り込んだ男の石像でした。

 

顔のない細い男性の大きな石像で、その頭の上に、クロが、乗ってて……それで。

 

 

私は察してしまった。

 


それが、彼である事を。
街から姿を消したその理由を。

私は思い出してしまった。
皆を守ってくれた事を。
最後に話しかけてくれた事を。

「心配かけないために……一人で……」

座り込んだ彼の石像に抱きつくと、とてもひんやりとしていて、もう生きてない事が分かった。
そしたら涙が溢れ出て、鼻が詰まって止まらない。

 

「こちらこそ……守ってくれて、ありがとうだよ……」

 

返すべきだと、なぜか心に浮かんだ言葉を、何とか絞り出して、私はずっと泣き続けた。クロもずっとなきつづけた。

 

 

 

 

 


あの事件から、1年が過ぎた。街の再開発のために取り壊された聖教会。その中で見つかった彼の石像は今、街のシンボルとして、広場に飾られるようになった。

 

ある時は待ち合わせの場所に、ある時は観光スポットに、ある時はイベントの開催場所に。人の集まるところに置かれたその石像は、今やこの街に欠かせないものとなった。

 

私は毎週土曜日に、この石像の場所で紙芝居を開くようになった。


忘れてはいけない昔の事件を語り継ぐ為に。


だから私は今日も口を開く。

 

「今回のお話は、少女を守った優しい人間のお話です」

 

 いつまでも、彼の隣で。