頭蓋解剖物語

ボロボロ書きます。剥がれ落ちる私を。

ごめんなさいね。何時しか私は自分の事も他人の事も。分からなくなってしまいました。ここ数日、病気が酷いのと抑える薬が貰えずに、私はきっと記憶が持たなくなっているんだと思います。色んな薬を飲んでいたことを。日記の私とゴミ箱が示しています。徐々に薬剤耐性が付いてしまって効かなくなって、強い薬を求め続けた自分の日記が怖いのです。日記に書かれたtwitterも、大学内の繋がりも、勉強したはずの自分のフォルダも。感情が湧きません。今の私はただ、冷蔵庫に貼られた一日のスケジュールを繰り返すのみの人間となってしまいました。ご飯も、バイト先のお弁当しか食べてません。それ以外の何をしていいのか。分からないのです。顔を出してみて、話しかけてみて、それでも不安の種が残るのです。電話してみて、自分で日記を書いていて、安心の芽を探し続けて、それでも見つからず、ずっとずっと、何も無い大地を掘り続けているのです。これから先も病院はずっとお忙しいでしょう。それは致し方のない物で、一週間前の薬袋に希望を見出そうとする自分が悪いのです。ごめんなさいね。ごめんなさい。もう胸を張って何かを語れるほど、この男には何も無いのです。ですます調で飾っていても、お酒におぼれて我を出しても、誰かと何かをしていても。私は何も満たされない。心が焦げて、錆びて、熱いのです。その熱を逃す様にため息をついているのです。以前、飽きた。という感情が最後にぽつり。と湧きだした時、Twitterを消しました。そして、何を思ったのか戻ってきてしまいました。あの時の行動こそが多分。私が私であった最後の行動で、縁を切っていなかったからこそ、その縁によって引き戻された。のだと思います。嬉しい事なのですがね。ここでこう宣言することに何か意味はあるのか。自分自身思います。しかし、それが縁と言うものの切り方である事の理解と。まだ、醜い何かになってしまう前に。理性が溺れていない内に。ここでお別れをさせてください。ごめんなさい。忘れてくれなんて言いません。叱責して、楽になってください。繋がっていても、私自身はもう何も無くて、相手を傷つけかねないから。全てに嘘を付いて誤魔化すのは。もう疲れたから。こんな一方通行のお別れを突き付けてしまってごめんなさい。さようなら。